2019年4月8日月曜日

がんセンターにセカンドオピニオン 3

弘法の湯にお泊まり最終日は
セカンドオピニオンの結果があまりに頭にきたのか4時前に目が覚めてしまった。
スマホをいじる。

近藤誠医師は本に目を通したことがあるが放置理論の人なので却下。
抗がん剤否定派は他にいないだろうか調べると植松医師、梅沢医師という名前が挙がった。
他にもいるだろうから調べていこう。

否定派は「免疫力を上げなければいけないのに化学療法は免疫力をさげる」という。

納得。

朝風呂に入り、沼津のいけすや
11時開店のところ、10時40分には着いたと思うけど
もう並んでいる人がいて整理券を取ると19番だった。

活あじ丼880円とアジフライ330円

美味しくいただき、帰路へ。

帰りの道中から、かなりの時間旦那さんと話し合いをした。
はっきりに言うわけではないが、がんセンターに転院が希望のよう。
私は、今の病院よりも違う治療があればと思ったが、治療は変わらないようだし
それならばどこでも一緒なので、どこでもいい。
一度戻って今の主治医と話をしなければならないが私としては経過観察してくれる病院を希望。
だから別に無治療にするわけでも、病院に行かないと決めたわけでもないけれども
うまく伝わらない。

癌になって、なぜ私がこんな目にと思ったことはなかったが
他人の対応?接し方?には、ホントやるせなくなることが多かった。
自分が公表することを選んだから仕方がないんだけど。
実名でやっているこのブログも自分の首を絞めているような気になるときも。

自分の人生なのに。

一番近い旦那さんですら治すと信じられないんだもの
私の近況を「あまり良くない」と思ってもおかしくない。
(だけど私の近況を誰かに聞かれたら「思ったよりなんか元気そうですよ」が正解です。)
SNSもあげないし、店も休みっぱなしだし。
それも良くなるために必要な時間だし。
自分史上で、最高に調子が良いほうだと思うんだけどな。

と、一度は折れて「思い通りの病院へ行き、言われるがままの治療を受ける。」と言った。
それは私にとって、この数カ月「治る」と思ってやってきたことを否定する事だった。
お医者さんは「完治は望めない、進行を遅らせることしかできない」が、
合う薬を探していき
合わなければ変えて
合う薬がなくなれば
痛みを止める薬を使う。

それは私にとっては絶望なのだと思う。

もう思い通りにできないのなら今までやってきたことも無意味で無駄なのであろうと。
言う通りにすればいいならと、帰宅後ずっと我慢していたイチゴ大福を食べた。
そんなに美味しいと感じなかった。
アイスを食べた。甘ったるくて気持ち悪くなった。
夜はワインを半分のんだ。
ワインは美味しかった。

考えても考えても、やはりこのままではストレスと病院の治療で死期が早まるだけだと思い本を2冊渡した。
意見するならこれを読んでからにしてほしいと。
医者のいう事を聞いて死んでしまった人も見たし、頑張ってないわけじゃないじゃない。
副作用がつらいことも、こういう事がストレスなことも。
そう、無視できるような存在ではないから、そして「治療を受けてほしい」という家族の気持ちもわかるから。
だけど、化学療法はやりたくない。
薬を抜いたりするために断食したり、身体になるべくいい物をと添加物に気をつけるようになったり。
それなのに「みんなが納得するから薬を身体の中に入れます」というのは私にとってストレスです。
そしてやるとしても、そのタイミングは自分で決める。
がんと闘わなければいけないのに、ここでつまずきたくないとなるべく丁寧に説明した。
納得したかどうかはわからないけれども、思いは伝わったようだ。

なんか、本当にすごいストレスだったのか、久々のお酒が効いたのか。
それから眠って起きた時に発熱していた。
翌日は久々に布団とお友達な一日だった。

まあ、今自分がやってることが無意味だと思えば病院の治療もやれる!
と一瞬でも思い込むようにしていたので、またひたすら自分を信じるのに苦労しておりました。
が、また「これは治る!」と信じて色々やったりしています。
と、セカンドオピニオン編のブログは長々旦那さんの悪口みたいな内容になってしまったが
仲良く、そして私は元気に過ごしております。

 
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