前回の続きのような。
断食の話がしつこい???てへっ。
病院で言われた治療を「医師の合意とともに」休んでいます。
これは「無治療」状態か、と言われるとそうではない。
普段と変わらず過ごすのが美学と言われ「そんな生き方もある」とテレビで取り上げられるものを「無治療」というのではないか。
義理兄は「打つ手がない」的なことを言われ食事療法を。
それはやはり「無治療」ではない。
緩和ケアもそうだけれども、「代替療法」に関しても「最後の手段」みたいな意識が強い。
しかも「変わり者が手を出しがち」みたいなことも。
父の闘病に携わり感じたことは、抗がん剤も代替療法も「ある程度の体力」がないとできない。
ある程度の体力があるとお医者さんは次から次へと薬を替え試してみる。
その副作用で生活に支障が出る。
そんな時に肝転移と言われ薬の変更と言われた。
その間色んな本やネットを読み「断食」を試したくなった。
そして、薬の変更から4週間、効果も見られず次に何の薬をと先生が悩んでいるので休薬を申し出たところ、不思議と快諾されたのだ。
それで終われば無治療なのだろうけど、断食にチャレンジすることに。
1ヵ月前、断食にチャレンジできることがすごく嬉しかった。
それが何故かは自分でも良くわからなかったが、長い投薬生活から少しでも離れられることが嬉しかったのだろう。
ウキウキで始めたから、不思議と辛くはなかった。
湯治も織り交ぜてたからかもしれない。
だけれども、やはり「素人がやっていること」と人の目には移り、近くで見る家族や親せきが一番不安を感じるのだろう。
「少しでも食べた方がいいよ」「食べないと力が出ないよ」
多分、テレビのスポンサーが食品関係が多いのでテレビではやらないが断食が良いと世界中のことわざにもあるのだから、もっと特集してくれればいいものを毎日のように、
この病気にはこの食べ物を食べれば治します!!とやっている。
病院の治療で具合を悪くしても「やめたほうがいいよ」などと言わなかったのに。。
先生のいう事を信じていればいい。
それでも、私は自分を信じることにした。
投薬・断食どちらがツラいか、それもやったものしかわからない。
それでも1ヵ月緩い日も含めやり、不思議と食べてもないのに調子が良さそうな私に家族も何も言わなくなった。
そして、家族が一番分かってくれている。
私は気がふれてでもなんでもなく、無治療でもなく諦めたわけでもない。
1ヵ月もお店を休んでくると、そろそろ心配の連絡が来るようになった。
断食つらいでしょ、と言われるが、「食べないだけ」のことで別に調子は良い。
「食べれる」けど高いお金払って注射打って「調子は悪い」よりも遥かに健康的だ。
きっとわかった。
嬉しかったのは、この体力の段階で断食に挑戦できたこと。
そして何よりそれが幸せだという事。
体力がなく挑戦したら、体調を崩し病院に運ばれ「糖分たっぷり」の点滴を打たれたに違いない。
この、今断食・今後少食生活は無治療ではない。
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