乳がんと診断されて今年で5年になろうとしている。
診断結果の具合(ステージなど)の違いも治療の違いもある。
風邪ひいたから風邪薬と言うわけにはいかないのが癌だと思っていたけれども、一緒なのかもしれない。
風邪をひいた。
医者に行くか寝ているか。
薬局で済ますか。薬を飲むか、薬をどれにするか。
全ては選択だ。
癌と診断され、遅かれ早かれ通る道が一緒かもしれないし、違うかもしれない。
癌と一言で言っても部位違えば当たり前だけど、同じ乳がんでもステージや性質で治療法も変わるし一つではない。
私の場合は、診断を受けセカンドオピニオンという選択はせず手術を。
その後抗がん剤治療を受けるも副作用がひどく途中で辞めホルモン治療に。
その間も癌についての本も数冊読むが、とにかく「お医者さんの言う通りに」が私の選択だった。
診断されたばかりの人は、今ココ(お医者さんに任せる)という人も多いと思う。
医学の事も病気の事もわからないから、お医者さんに任せる。
そして2017年、再発・転移の診断。
ホルモン剤を変え、放射線治療を。
お医者さんに任せながらも、少し真剣に本を読むように。
癌の餌は糖なので断糖を目指すも、多少きつい検査や治療の日は「ご褒美」と自分を甘やかす。
2018年は癌で身内を亡くす。
看病の間、どうにかならないものかと癌について勉強。
改めてどういうものかを知るも、並行していた糖質制限もほぼしない日が続く。
死後事務が落ち着いた頃、自分の腫瘍マーカーが悪化しだす。
看取ったことなど、看病の日々を思うと全てが無駄な抵抗のように感じた。
それほど絶望を感じたのだ。
どうすればいいのか、迷う日々が続くけれども突破するには自分でしかない。
ある日、気が付いた。
何がきっかけだったかは覚えていないが、我慢強かった父が病院で言った言葉。
「こんなに、こんなに痛くて大変な思いを家族にはさせたくない。」
自分が大変な時に、家族の心配をして・・・
そうだ、癌に負けてはいけないのだ。
人はいずれ死ぬ。
それが、父と同じように癌で痛いと言っては「父の思い」に反する。
共存する。と言ってきたが、治そう。
私の中の細胞がおかしくなったのだ。正しい細胞に戻してあげればいい。
医者は治らないといった。
再発・転移は治らないので、進行を抑える治療だと。
そんなことはない。
どうしようもなかった自分が少しはマトモになったように不良になった私の細胞を私が正しい道へ導く。
そのために色んなことにチャレンジして、失敗しながらも最善策を見つけていきたい。
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2019年1月7日月曜日
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